ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント 3.(1)土地所有の歴史(その1)

3.(1)土地所有の歴史(その1)
 現生人類であるホモサピエンス以外の人類は他の動物と同じように狩猟採取によって生活していた。ホモサピエンスでさえ狩猟採取の生活は長かった。狩猟採取の生活を送っていた間に誕生の地であるアフリカを出てポリネシアを除く、現在、人類が生活している地球上の隅々まで植民して行った。現生人類誕生から見れば十万年とも十五万年とも言われる年月が経っていた。ところが最終氷河期が終わる今から一万年ほど前に農耕を始めたのである。最終氷河期が終わるころは気候が不安定であったことが引き金になったようである。即ち、野生の穀物類が豊富に自生している等の場所があって、そこを囲むように集団で定住する人類がいたが、気候変動によって野生穀物類が減少したために、慣れ親しんだ定住を捨てる抵抗感もあって、栽培する事を思いついたというのである。良く例として上げられるのが、中東だが、ほぼ同じ頃中国やアメリカ大陸でも農耕が始まったようである。これらの地点を拠点にして世界各地に農耕が広まって行った。ポリネシアに植民したのはずっと後だが農耕技術の獲得に関係があるのでついでに書いてしまう。即ち、狩猟採取の生活では持続可能な生存を続けるにはかなりの面積の土地を必要としていたので絶海の孤島のようなところは植民に適さなかったが、農耕技術を手に入れた人類は太平洋に漕ぎ出し、ハワイ島のような島々にまで植民して行った。この出来事をもって現世人類の世界植民が完結したのである。
 
 狩猟採取の生活では私有という概念はなかった。限られた有用物でも共有したから持続的に生存し得たのである。個人の努力による乱獲は、結果的に生存を脅かされた。そこには社会的な区分や争いは無く、みな平等で平和であった。ところが農耕が始まると生態系の支配から開放され、個人の努力によって作物の貯蔵・所有、田畑の開墾・所有が可能になり、個人的・集団的格差が生じていった。さらに農耕は人口の急増をもたらした。共有と私有の社会的規範が未熟な段階では個人間、集団間の争いが絶えなかったであろう。さらに私有という概念がはっきりしてくると争奪によって富の拡大を可能にする術を知ってしまった。その延長線が戦争である。土地は生存に欠かせぬものになり、その拡大と権力の拡大の連鎖を廻って、集団間の栄枯盛衰が繰り広げられた。
                  黒子

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