ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その3−1)
 弥生時代は生活基盤や日本列島人の基質の大変動をもたらした時代であった。しかも、国際的な影響を大きく受け、まさに激動の時代であった。そして、かってなかった日本の土地所有(土地支配)の幕開けとなる大転換を促したのであった。その過程では格差の発生拡大、戦争の頻発という好ましくない政治状況を生み出したのである。そこで土地所有の歴史という主題に入る前に、稲作の伝来、日本列島人のルーツ、影響を及ぼされた国際情勢を簡単にレビューしておきたい。
 狩猟採取においては主食は獣の肉であったが、農耕では日本の場合米が主食に変った。稲作は中国の長江中下流域で始まったとされている。ここを起点に稲作が東アジアや東南アジア各地に広まった。当初日本へ伝来したのは熱帯の陸稲種で縄文前期のことであった。水稲種は縄文時代後期から弥生時代にかけて伝来し、温帯ジャポニカ種が朝鮮半島経由、または南西諸島経由で伝わったとされている。水稲種の場合、生産性は高いが、水田造成、灌漑用水施設等技術的課題が多々あった。しかし数千年をかけて醸成され、日本に伝来した時点ではこれらが克服されていたが故に8世紀までには北海道を除く各地に広まった。ここでことわっておきたいが、稲作の起源についても、伝来ルートについてもつい最近の知見を基にしている。今後の研究によって変りうると考えておかねばならない。
 人類はアフリカを出てから、地球の各地に移動していく過程で遺伝子上に突然変異が発生してその外見や風貌を変化させていった。向かった先は獲物が豊富に得られる場所であり、砂漠や高山地帯を避けながら、前進を続けた。したがって、いくつかのルートに分かれていったが、偶然別ルートで先着していたグループに遭遇する事もあった。そこでは混血が起こったであろう。遺伝子上の変化や混血を繰り返して実に複雑な姿になっていった。人類の移動ルートは大きく分けるとアフリカを出てすぐ海岸沿いに向かったグループとアラビヤ半島を北上してユーラシヤ大陸に向かったグループに分けられる。日本に最初に到達した人類は後者のグループの末裔で三万五千年前だったと思われる。この時点では何度か遺伝子上に変異が起こってアフリカを出たときとは体や顔つきが変っていた。このグループは東アジヤに広く分布していたが、一万年前に遺伝子上に突然変異が起こり、後に稲作農耕民として人口を増やしたグループが誕生し、日本へも渡来したと考えられる。日本における考古学上のネーミングでは旧石器人、縄文人、弥生人と言う事になるが遺伝子上の出来事と考古学上の古代人との結びつきはまだ十分解明されたとは言いきれない。
黒子

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