ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その3―2)
 古代の東アジアの歴史の基本軸はなんと言っても中国の動静であって、日本列島も朝鮮半島もその動きに影響された。そこでまず中国からその歴史を追ってみよう。中国の最初の王朝は殷で紀元前1、600年頃成立した。続いて紀元前1、122年周(西周)の時代となる。紀元前770年から春秋戦国時代と呼ばれる群雄割拠の時代に入り戦乱が続いたが、紀元前221年秦がこれを平定して中国の大半を支配下においた。紀元前206年前漢の時代に入って懸案だった匈奴を懐柔した。西暦8年新が一旦天下をとるが農民一揆(赤眉の乱)が起こって傾き、西暦25年漢(後漢)が再興された。後漢末期にはまたも農民一揆(黄巾の乱)がおこって乱世となり、西暦220年から魏、蜀、呉の三国時代を迎えた。西暦265年魏は蜀、呉を併合して晋(西晋)となった。
 朝鮮半島はどうであったろうか。乱暴だが地域を北緯37〜38度あたりを境として北部朝鮮と南部朝鮮に分けてその歴史を追ってみよう。まず、北部朝鮮だが、紀元前1,100年頃から古代朝鮮が遼河一帯を支配していた。中国の戦国時代、紀元前200年頃古代朝鮮は燕人の衛満に滅ぼされた。この衛氏朝鮮は紀元前108年前漢によって滅ぼされ、前漢は楽浪郡等四郡をおいてこの地の支配を始めた。紀元前1世紀頃北部に高句麗が成立し、西暦313年楽浪、帯方郡を奪った。その後西暦668年まで栄えた。前後するが後漢の時代、遼東の太守に任じられた公孫氏が楽浪郡の南に帯方郡を置き、朝鮮半島や日本列島からの朝貢を受けた。なお、この時期に南部と北部にまたがって、日本海側に濊貊が勢力を張っていた。南部朝鮮には古くは辰国があった。この辰国は後漢末の西暦200年迄には馬韓(半島西側54カ国)、辰韓(半島東側12カ国)、弁韓(半島南側12カ国)に分立した。但し、全体は馬韓が統括していたと言う説がある。
黒子

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玉縄・関谷の緑を守る為、様々な方へ情報を提供しアドバイスを頂いたりしながら、この地域を守っていこうという動きで始めました。
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