ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その7−11)
不思議なことに「名制度」につながる命令は「延喜の荘園整理令」より早く出されたのである。この命令は寛平六年(西暦894年)2月23日に出されていた。即ち、従来徴税は口分田を班給されている人民が対象であったが、逃亡・浮浪や偽籍のため戸籍が使い物にならなくなり、班田収受が出来なくなったために、今後は土地を徴税の対象にする、というものである。これは明らかに律令制度の基本である公地公民制の変更である。
一方、時平は「名制度」が動き出したこのタイミングでなぜ班田収受にこだわったのであろうか。藤原氏が次々に荘園を寄進されるようになったのはずっと後のことであり、時平が政権の座についた時点では、まだ位田や職田等からの収入に依存していた。
菅原道真は地方の国司を務めたことがあり、律令制が弛緩している地方の行政を実情に合わせて国司の裁量で行わせるべきであると考えていた。道真にとって「名制度」は現実的な選択であったろう。即ち、道真と時平の間にこんな面でも対立があったのではないか。
律令制の立て直しに意欲を燃やした時平であったが、三十七歳の若さでこの世を去り、律令制の立て直しはますます遠のくことになった。時平のあとを継いだのは弟の忠平であるが、中央への税の納入が保証されるなら地方行政を国司に任せ、統制はしないという方向に舵をきったのである。
 次稿で「名制度」の実際を述べることにする。
                黒子

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