ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その7−18)
 11世紀になると荘園の成立が飛躍的に増加したが、寄進型荘園によるところが大きい。寄進の推進は武力をよりどころとする開発領主と呼ばれる者たちによって行われた。武力の実態や武士と呼ばれる者の成立過程は学説がいろいろあるので、ここでは特定しないことにする。
開発領主にもいろいろあって、国司の収公のターゲットになっている百姓の治田(この頃になると朝廷も保証しなくなった)を次々に買占め、相博(そうはく:土地の等価交換)によって円田(四至牓示〈ししぼうじ:荘園等の四隅に設けた境界の目印の石や杭〉がしてある一か所にまとまった田地)化された土地をつくりあげる者、郡司などの官職地位をうまく使って農民をかり集め、田地、用水路開発を行う者、国司の任国にその子孫を土着武士化させることがあったが、なかには武力で他の荘園を強奪するケースもあった。
寄進の実態は、国司の収公圧力が高まると、国司の手の届かない中央の上流貴族に多くの場合周辺の公領を加納と称して囲い込んだうえで寄進して立荘し、あわせて不輸不入(税がかからない、しかも荘園内に役人を立ち入らせない権利)の荘園にすることさえも可能であった。寄進先を領家と仰ぎ、自分は、勿論交渉事であろうが、荘官におさまり、今まで得てきた以上の得分を留保した。領家の得分は不輸の権利により、官物・雑役分が手に入った。多くの場合領家より位の高い者に何がしかを支払い再寄進して荘園の保全に万全を期した。領家から寄進された者を本家といい、ここに一つの荘園の上に重層的な支配関係が出来上がった。なお、本家、領家のうち荘園を実効支配した者を本所と言った。
荘園が本格的に広がるのは院政時代で、当時最高の権威があった「院庁下文(いんちょうくだしぶみ)」をもって院自身も立荘に積極的に動き護願寺や女院の所領にしていった。また一方では記録荘園券契所(後三条天皇の設けた券契所と少し異なり、国司と領主のいずれかから紛争の裁定を求められた時にはじめて開廷し裁定を与えた点である)を開設し収公された荘園を実質、院の所領にして天皇家の家産を増やすことに熱心であった。また、収公されるならいっそのこと、院に寄進して何がしかの得分を確保した方が良いという動きも出てきた。記録荘園券契所の開設はむしろこの動きが出る事を狙ったのであろう。そのようなものも吸収し、天皇家の家産を積極的に増やしたことで、これ以降に続く動乱の時代を生き抜いたとも考えられる。
                   黒子

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その7−17)
朝廷は寛徳二年(西暦1045年)荘園整理令を発した。その内容は前任の国司の任期中およびそれ以降に立荘された荘園は全て停止するというものである。十年後の天喜三年(西暦1055年)、さらにその十年後の治暦元年(西暦1065年)に、寛徳以降の新立荘園の停止令が発せられているので、それまでに出された荘園整理令は効果が少なかったことを示している。時代背景を見れば、藤原道長が去ってその子頼通の代になっている。また、国司の国務請負により国司の権限が増して荘園や私領の収公圧力が高まっていたから、これを嫌って摂関家に荘園を寄進する動きが顕著になり、急速に摂関家が荘園を増やしていた。荘園の乱立が国司の行動に原因があるから、ここをたたけば公領が回復するものとふんだが、荘園を支配している者が摂関家では荘園整理令の効果が上がらないのは無理もないことである。ところが、延久元年(西暦1069年)、後三条天皇親政下、摂関家の勢力を弱め、天皇家の権威回復を狙った荘園整理令が発せられた。中央に記録荘園券契所を設け、従来の国司任せではなく、朝廷自ら荘園審査にのり出したのである。摂関家の政所政治が破綻をきたしていたから、後三条天皇は摂関家になんの遠慮もなく摂関家に打撃を与える事が出来た。後三条天皇は律令国家の再建を目指したのではなく、あくまでも天皇家の権威を高めるためなので、収公した荘園を公領に戻す一方で、一部勅旨田にもしている。ところで、延久の荘園整理令では荘園が公領との関係に於いてあいまいにされてきた部分にもメスを入れることになった。それは、?浮免という場所は固定されてないが荘園化した土地?公領を耕作していながら荘園に住んで、公領に出作するいわゆる出作加納田になっている土地を荘園と主張し官物を払わない土地?公験もないのに公民と結託して荘園と称している土地、である。これらの土地が収公され、公領と荘園の領有が明確化されることになり、ここでもまた律令体制が後退する画期となった。
                黒子

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玉縄・関谷の緑を守る為、様々な方へ情報を提供しアドバイスを頂いたりしながら、この地域を守っていこうという動きで始めました。
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