ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

生ごみバイオ施設中止

生ごみバイオリサイクル計画中止

 本ブログでも鎌倉市が従来生ごみを焼却処理していたのに対し、メタン発酵することによるメタンガスの回収を計画している事を取り上げたことがあった。しかし、メタン発酵によって得られたメタンガスエネルギーのメリットはメタン発酵する際発生する消化液および残渣を最終的に焼却することになるので、莫大な金をかけてまでバイオリサイクル設備を建設するメリットがあるのか疑問であると指摘した。この時は関谷の農業振興地域で設備建設を計画していたが、土地の取得計画が市街化調整区域であるのに宅地並みの予算を計上していたところ、住宅が立てられない土地である事が明るみに出て、関谷での設備建設計画が廃案になった。なんともお粗末な行政の仕事ぶりである。
 その後、鎌倉市はバイオリサイクル設備を建設できる場所を模索していたが、山崎の下水処理場で発生する余剰汚泥と生ごみを抱き合わせてメタン発酵する計画となって再登場した。ここでもメタン発酵残留物は焼却処理しなければならないが、もともと余剰汚泥は焼却処理しているのでなんとかのみ込ませてしまおうと考えたものと思う。なんのことはない、今泉クリーンセンターで焼却している生ごみが姿をかえて山崎の下水処理場で焼却されるようなものなのである。皆さんは勘違いされているのである。メタン発酵すれば焼却はゼロになると思っているらしいが、焼却はなくならないのである。その点をよくよく考えなければならない。
 生ごみのバイオリサイクル計画は石渡前市長のもとで立案されたものであったが、昨年10月に市長の選挙があって、松尾現市長がマニフェストにこの計画の見直しを掲げていた。そして松尾市長は生ごみを含む被焼却廃棄物の更なる分別や資源化の徹底、生ごみ処理器の更なる普及や将来家庭ごみ収集の有料化を見据えるなどを行うことで、バイオリサイクル計画を実施する必要はなくこれを中止することを11月25日の市議会全員協議会で表明した。まさに英断であろう。
 更なるゴミの減量化は市民にとっては大変なことである。しかし、バイオリサイクル計画につぎ込まれる税金を軽減できるのであるから、この計画に従って粛々とやっていくしかないと思う。              黒子

11月26日の新聞記事新聞記事

続きを読む »

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その8−6)
 平家を倒し、平家没官領をそっくり自分の荘園にして、なおかつ多数の知行国主になった頼朝が守護・地頭の設置まで朝廷に認めさせたり、朝廷人事をも意のままにした。このあと頼朝の大事業は奥州藤原氏との合戦ということになるが、その前に歴史をさかのぼって奥州の沿革をたどっておくことにする。
藤原氏台頭に大きくかかわった清原氏が支配した山北(せんぽく)三郡の成立からたどっていこう。山北三郡とは出羽国の雄勝郡、平鹿郡、山本郡のことで、続日本紀に天平五年(西暦733年)雄勝郡が、続いて天平宝字三年(西暦759年)平鹿郡が建郡されたとあって、後に日本三代実録貞観十二年(西暦870年)十二月八日条に山本郡の初見があることから、位置的にみて平安時代初期に平鹿郡から山本郡が分離したものと考えられている。
陸奥国で安倍氏の勢力下にあった奥六郡の成立について調べてみると、まず征夷大将軍坂上田村麿が胆沢を攻略したあと延暦二十一年(西暦801年)頃に胆沢郡と江刺郡の二郡が、次いで弘仁二年(西暦811年)陸奥出羽按察使の文室綿麿によって和我郡、薭縫郡、斯波郡の三郡が、そしてだいぶ遅れたが、多分十一世紀までには岩手郡が建郡されている。
次稿では上記の地域を舞台にした前九年の役について概略を書くことにする。
                   黒子

続きを読む »

 | HOME | 

PAGE TOP ▲

Appendix

街づくり人

街づくり人

玉縄・関谷の緑を守る為、様々な方へ情報を提供しアドバイスを頂いたりしながら、この地域を守っていこうという動きで始めました。
多くの方のコメントをお待ちしております。


Search

Calender

« | 2010-11 | »
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -