ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その8−12)
 今回も例によって系図を参照頂きたい。真衡が異母兄弟の家衡・清衡を差し置いて養子を迎えたことで清原氏の跡目相続の機会がなくなる家衡・清衡にとって真衡の死はチャンス到来であったが、今度は家衡が奥六郡の配分に不満を抱き、清衡と対立することになった。家衡は応徳三年(西暦1086年)清衡の館を襲って妻子や眷族を殺してしまう。かろうじて生き残った清衡は義家にこの暴挙を訴えると、義家は家衡討伐に立ちあがった。清衡と義家は沼柵(秋田県横手市雄物川町沼館)に籠った家衡を攻撃したが、守りが堅くしかも季節は冬であり、兵糧も乏しく、凍死者まで出る始末で、撤退を余儀なくされた。
この知らせを聞いた家衡にとっての叔父武衡は勇名をはせる義家を退散させたことを大変喜んだという。武衡は来年の再攻に備え、より難攻の金沢柵(横手市金沢中野)へ移ることを勧めた。寛治元年(西暦1087年)九月戦備を整えた義家・清衡軍は金沢柵攻略のため出陣した。今回も家衡・武衡が籠る金沢柵の守備は固く義家・清衡軍は苦戦を強いられた。朝廷に対して清原氏の氾濫と報じ、清原氏追討の官符を申請したが認めてもらえなかった。そんな折兄の苦戦を知った弟義光が京から来援し、これに力を得た義家は金沢柵に猛攻撃を加え非常な苦戦の末に、同年十一月十四日ついに金沢柵を陥落させ、家衡と武衡を討つことに成功した。
義家は早速都へ戦勝の報告をし、恩賞を申請した。また、この勝利で義家は奥州での第一人者になり奥州各地の豪族は義家に従った。なかには荘園寄進の仲介を願う者もいた。しかし、朝廷はこの戦を私戦とみなして賞を与えず、荘園寄進の仲介は違法であると断じた。さらに追いうちをかけるように義家に官物等の納入をせまった。戦費がかさんだ義家はこれを出来ないでいると、朝廷は翌寛治二年(西暦1088年)正月藤原基家を国司に任命し、義家の願いは断たれた。仕方なく戦に勲功のあった者に私財をもって報いた。この行いが義家と従者との絆を深め、武家の棟梁としての地位を築いた。
このあと官物等の未納を咎められ、官職につけなかったが、十年後、白河法皇のはからいで官職に復帰するまで官物等の請求をされ続けた。
                   黒子

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その8−11)
例によって系図を参照しながら読んで頂きたい。出羽山北三郡に前九年の役で獲得した陸奥奥六郡を勢力範囲に加えた清原氏であったが、一族の複雑な血縁関係の故か、もめごとが頻発する。前九年の役の功績で鎮守府将軍になったのは武則だったが、その子武貞には本妻との間に真衡がいて、さらに安倍頼時の娘で藤原経清の妻をその連れ子清衡ともども自分の後妻に迎え、家衡をもうけている。真衡には子がなかったので、海道平氏(陸奥国岩城郡を本拠地とした)出身の海道小太郎成衡を養子に迎えていた。後三年の役の戦端はささいなことからはじまった。成衡が妻を迎えることになり、祝いの客があつまってきた。その中の武則の娘婿の吉彦秀武(きみこひでたけ)が金を高く積み上げた盤を頭上高く捧げ持って真衡の前に進み出たが、真衡は囲碁に夢中になっていて気がつかず、屈辱に耐えかねた秀武が金をぶちまけて出羽に帰ってしまった。あとでそのことを聞いた真衡は怒って、兵をまとめて秀武討伐に向かった。武力では抗し難い秀武は、家衡、清衡に呼び掛けて、真衡の背後をつかせようとした。この誘いに乗った家衡・清衡は真衡の留守宅の襲撃に向かった。これを知った真衡は引き返したが、家衡・清衡は本拠地に逃げ帰った。そんな折、永保三年(西暦1083年)源義家が陸奥守として赴任してきた。真衡は丁重に義家をもてなした後、再び出羽に出陣していった。家衡・清衡は再び真衡の留守宅を襲撃したが、義家が真衡側に加勢したため、家衡・清衡側は惨敗し義家に降伏した。ところが真衡が出陣中に急死し、事態が急展開した。義家は真衡が支配していた奥六郡を家衡と清衡に分与した。この流れからすると成衡はこの時点では何らかの理由で死んでいたものと思う。ただし、成衡の妻と義家は異母兄妹なので、この縁で成衡を下野国塩谷郡に居を構えさせていたが、後に常陸国住人中郡頼経に討伐されたという説もある。なお、義家が真衡に加勢しているが、真衡は延久二年の北奥合戦の功により鎮守府将軍を拝命していたので義家にとっては真衡の協力なくしては国務を遂行できない関係なので、このようなことになったものと思う。
                 黒子

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玉縄・関谷の緑を守る為、様々な方へ情報を提供しアドバイスを頂いたりしながら、この地域を守っていこうという動きで始めました。
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