ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その7−16)
荘園の増加は反面公領の減少をもたらし、朝廷の財政を圧迫した。そのような状況を打開すべく荘園の停止を検討していたが、長久元年(西暦1040年)、現在任命されている国司の就任以来設定された荘園を、国司の申請により停止するという荘園整理令を発令した。そもそも荘園の立荘にあたっては公験(くげん)が必要である。公験とは朝廷もしくはその下部機関が当事者の解状(上申書)に基づいてこれを審査し認めた証拠が記されているものを指す。土地の場合は所在地によって京職もしくは国司が公験の発給を行った。
律令制が動揺してくると上記のやり方以外の方法も行われたので、それらも含め公験とした。  
しからば国司(この場合受領即ち任国の最高責任者とする)は土地の管理をどのようにしていたのであろうか。そもそも国司は朝廷に対して任国の徴税を請け負っているわけであるから出来るだけ荘園を増やさないというのが、彼の立場である。つまり検田権と言う強力な権限に基づき、由緒正しくない荘園や私領は徹底してこれを収公しようとしたのである。しかし相手が貴族の場合は自分自身の立身出世に影響力を持っているわけで、なかなか思い切ったことは出来なかったであろう。自分より身分が高い貴族から解文が提出された場合認めないわけにはいかないケースもあったのではないか。反面、任期の最後に、国司にとっておいしい条件には公験を与えることで荘園立荘の認可を乱発したケースが多々あった。さらに、荘園の不輸(税の免除)や不入(国司が荘園へ検田等のため立ち入らない)の権利を取り付けるには太政官もしくは民部省の符(これらを一括して官省符と言った)が必要であるが、国司も任期中にかぎって不輸不入を認める国司免判を発給することが出来た。このように荘園の乱立は貴族の側だけでなく、国司にも原因があったのであるが律令制の動揺をついて、国司以外(例えば郡司等)の人間が公験や免判を発給したことも想像できる。つまり国司の預かり知らぬところで公験や免判が発給されているのではないかと朝廷が考えても不思議ではない。そうでなければ今回の荘園整理令はなにを狙ったのか分からない。国司が自身の不当性を自ら認めるとは考えにくいからだ。
長久の荘園整理令がどの程度効果があがったか定かでない。以後も次々に荘園整理令が出されるから、あまり効果がなかったのではないか。あるいは同一の荘園について収公、認可を繰り返すシーソーゲームもよく見られたので、時々荘園整理令を出す必要があったのかもしれない。次稿でも次々に出された荘園整理令について記す。
               黒子

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