ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その7−19)
荘園の中はいろいろな名目の田地があったが、公領の名に相当する百姓名という区分があった。公領では名の広さは大小様々であったが、荘園の場合の百姓名はほぼ均等に区分されていたようである。公領の田堵に相当する「名主」が百姓名を請け負っていた。名主は当然地主ではないが、荘園領主の影響力が希薄になりがちな遠隔の地域では名主の私的な支配力が強くなる傾向があった。
ところで院、女院、皇后、中宮などの経済的な基盤になっていた院宮分国制と言う制度があったが、天皇家や摂関家に、更には上流貴族にも拡大され「知行国制」として普及した。いわば公領が荘園のごとき性格をもつ状況である。知行国主は息のかかった者を国司に任命する権利があり、知行国から上がってくる官物相当分を私物化出来たのである。
治承のクーデターまで起こして栄華を誇った平家はとりわけ知行国の取り込みに力をいれ最盛期では三十二カ国に達していた。
 畠の事に触れておこう。畠は従来、園宅地の区分であり、農民が食糧を賄うための土地として私有が認められていた。しかし、十二世紀、荘園が本格化し、畠の開発も行われるに至ると、田地と同じく名に編入され、公領でも荘園でも収取の対象になった。同じく園宅地内に居住するいわゆる在家に対しても在家役(宅地内での生産物に対する賦課)が課せられた。十一世紀までは園宅地に対する税はかからなかったから、よりシビアーになったといえる。
                  黒子

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