ここだって鎌倉だ!断ち切るな関谷・玉縄みどりの輪 

「連続開発に脅かされる市周縁の暮らしと歴史」 大船駅付近の玉縄、関谷をご存知ですか? JR大船駅から大船観音横の通りの坂を登ると緑の多い住宅地があります。

開発予定地の法規上のポイント

3.(1)土地所有の歴史(その8−73)
寄進型荘園が立荘される時、周辺の公領が取り込まれてしまうことが一般的であった。
どうしてそのようなことが出来たのであろうか。開発領主だけではそのようなことが出来ず、国司に対抗できる中央の実力者の力が必要であった。但し、それだけでは不十分で、理屈が必要である。その理屈とは「加納」であるという。荘園と公領が境界を接している場合、境界周辺で耕作をしている荘公の農民からすれば、既得権を奪われことになるのであるから、これを救済しなければならぬというのが理由なのであろう。すなわち荘園側にいる農民が公領側に出作する公領田や荘園側に入作する農民の耕作する公領田を荘田と主張し、荘園に取り込んでしまうのである。取り込まれた公領田を加納(加納という地名が各地にあるのはここに由来しているのではないか)田という。寄進型荘園というのは、単に開発領地だけにとどまらず、その周辺の公領を取り込むため、開発領主と中央実力者が結託して立荘したものである。寄進型荘園の他にもさまざまな荘園が公領を圧迫したがここでは割愛したい。次に公領自体の問題を指摘しておこう。別名や保等は律令体制時には存在しないものであったが、開発領主の出現で開発もしくは荒田の再開発が行われ、公領の在り方に少なからず影響を与えた。そして何よりも大きかったのは税の取り方の変更である。律令時代は人を基準にした税の徴収であったものが、土地の面積に比例させる方式に代えた結果、従来の「郷」(50戸程度の規模)をいくつかを束ねて「郡」とする行政組織が成り立たなくなったことである。「名制度」を実施していくと、従来の郷の領域ではぴったりとは合わなくなって、新たな郷を編成しなければならなくなった。つまり大事なのは郷であってこれをしっかり押さえることが重要になった。もう一つは郷の中に開発領主が登場し、自ら開発(荒田の再開発を含む)する一方百姓の治田を買得・集積して私領を拡大させ、さらには郷司職を手に入れ、事実上郷を支配することで、郡の支配に従わなくなり、こういった郷が増えると郡の支配機能は失われ、国の下は郡も郷も、さらには「保」などが並列に存在する状況になってしまった。
律令制では国府の官制は四等官制で国司が一等官で「守(かみ)」、二等官が「介(すけ)」、三等官が「尉(じょう)」、四等官が「目(さかん)」であるが、実務にたけている分国司にすれば扱いにくいという事情があって、田堵等を重用する傾向があった。従って、在庁官人の中には田堵出身者が多く存在した。このような状況下で公領に地頭が補任されると、検断権(警察、裁判権)に於いて国司並みの権限を有するので武力を背景に国司や郡司、郷司と衝突する場面も想定される。
                 ―黒子―
 
 

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